潮田益子 小澤征爾 日本フィル シベリウス協奏曲

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こんにちは、
ともやんです。

 

昨日から、日本のヴァイオリニスト、それも女性中心に名演の録音を探しながら聴いています。

 

資料を見ないでパッとみないで思い浮かぶ人は数名、せいぜい10名にもいきませんが、資料を見ながらだと、あっこの人知っている、この人も、この人もと過去の記憶が蘇ってくる。

その中で潮田益子さんの名前に目が止まった。

 

僕がクラシックを聴きだして中1の1970年代は、その名前はよく聴いたものだ。

しかし、当時は日本人の奏者にはあまり関心がなかったのか、特にレコードはもちろん買わなかったし、ただよくFM放送を聴いていたのでその中で聴いていたかもしれないが定かではない。

 

潮田益子 小澤征爾&日本フィルとの共演

 

潮田さんのディスコグラフィを見ていると1枚のジャケット写真を発見。

それは、立っている小澤さんと座っている潮田さんが、共に楽譜を見ている写真で、二人共楽しそうに笑っている。

 

このジャケット写真を見て思わず涙が出そうになった。
時は1971年、小澤さん38歳、潮田さん29歳。
前年に大阪万博があり、まだまだ日本全体も元気な時代だった。

 

潮田益子(うしおだ ますこ)
1942年4月4日、旧満州・奉天生まれの日本人女性ヴァイオリニスト。13歳で東京交響楽団と共演しデビュー。小野アンナ、ジャンヌ・イスナール、斎藤秀雄に師事。桐朋学園高校を経てレニング ラード音楽院に留学し、ワイマンに師事。1963年、エリーザベト王妃国際コンクール入賞を果たす。翌年からスイスのシゲティのもとで研鑽を積み、1966年には第3回チャイコフスキー国際コンクール第2位を獲得。異例の国際的演奏家としてはばたく。チェロ奏者ローレンス・レッサーと結婚後も世界各地で演奏活動を展開。95年、97年発表のCDも絶賛された。2013年5月29日、マサチューセッツ州ケンブリッジで白血病のため死去。

 

潮田益子 シベリウス&ブルッフ ヴァイオリン協奏曲

 

ジャン・シベリウス - Jean Sibelius (1865-1957)
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op. 47
Violin Concerto in D Minor, Op. 47

1.(16:14) I. Allegro moderato
2.(08:18) II. Adagio di molto
3.(07:33) III. Allegro ma non tanto
total(32:05)

 

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マックス・ブルッフ - Max Bruch (1838-1920)
ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 Op. 26
Violin Concerto No. 1 in G Minor, Op. 26

4.(08:14) I. Prelude: Allegro moderato
5.(08:41) II. Adagio
6.(07:04) III. Finale: Allegro energico
total(23:59)

潮田益子 - Masuko Ushioda (ヴァイオリン)
日本フィルハーモニー交響楽団 - Japan Philharmonic Orchestra
小澤征爾 - Seiji Ozawa (指揮)

 

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲/ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(潮田益子/日本フィル/小澤征爾)
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲/ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(潮田益子/日本フィル/小澤征爾)

 

小澤征爾と潮田益子により若々しい爽演が楽しいヴァイオリン協奏曲集。録音当時、まだ30歳代の小澤が首席指揮者を務めていた日本フィルとの貴重な音源が復活。我が国70年代を代表する協奏曲の名録音です。

 

ボストン響の音楽監督就任前の情熱に溢れた小澤、それに渾身の熱演で応える潮田。日本を代表する名ヴァイオリ二ストとの豊かなハーモニーが素晴らしい。現在でもサイトウ・キネンで共演を重ねる両者の若き日の軌跡です。
タワーレコード (2009/04/08)

 

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ともやん

ともやん

小学生の時、NHK交響楽団を指揮する岩城宏之氏の指揮姿に魅了されてから、クラシック音楽に興味をもち、今日まで生きてきました。 現在、LP、CD、カセットテープも含めて約1000件以上を所有しています。 毎日数枚ずつ視聴しながらブログを運営しています。 好きな作曲家は、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス、マーラーから武満徹、伊福部昭。 このブログでは、サブスクで楽しむことが出来るオーケストラ曲の名演、迷演、珍演をご案内して行きたいと思います。 お付き合いのほど、よろしくお願いします。 1957年富山市生まれ、横浜市在住。